東京へ

1月末に東京で一人暮らしを再開する事となりました。
コングラッチュレーション!おれ!


親との生活を2ヶ月近く過ごしたが、ここまでくると別れが寂しいね。
最初は喧嘩というかぼくの捻じ曲げる態度の繰り返しだったが、時間とともに解消されていき、年末あたりからは仲良くやってる。(ま、ぼくは単なる休暇人間であれこれさせらてない状態だが。。)
あと、妹たちとも接するタイミングがあって、一家全員で時間を過ごした事もあった。それこそ10年ぶりぐらいだと思う。
一家全員の距離がぐんと縮まった2ヶ月でした。


一人暮らし再開の決定は、大阪のSTさんとリハビリをやっていくなかででてきました。
ぼくの状態は、もちろん12月末状態ではあるんだが、病院側が提供するプログラムだと、もはや重箱の隅をつつくような内容になってしまうので、今後は実生活や仕事を通して問題点のファインディングと回復へのトレーニングを実施していった方がよいという判断がありました。
この考え方を大阪および東京のドクターから承認をもらい、一人暮らしにもどるという結果となりました。
仕事については再開タイミングは未定だが、医者からは初動からフルでは無い形でという指示はもらっている。まぁ始められるだけでも嬉しいってもんだな。ちょっとドキドキするけど。
ちなみに大阪のお医者さんやSTさんとはすごく近い距離でやりとりを行ったと思う。
それこそ真剣さをすごく感じた日々でした。
あの人達ともこれでお別れになると思うと、こっちもちょっと寂しい想いがあったりする。


12月中は頻繁に状況をブログにあげてたが、今月は自分自身や仕事についてじっくり考えていた。
自分自身については特徴なんかの洗い出しとかもしていたが、主に何をしたいのかを考えてました。具体的なところにまでまだいってはないけど、過去の根っこから洗ってみたからなんとなく見えてきたといえるな。
あ、どMって話はしたけど、淋しがり屋ってこともわかりました。。
仕事についてはここであれこれかくもんじゃないけど、オリジナリティ、ブランド、そしてその方向感と実行方法について考えてました。
社長かよ!そこやないやろ!って突っ込まれそうやね。。


今回、発症率が非常に低い単純ヘルペス脳炎にかかったということ、そしてその後遺症はあるということは、ちゃんと受け取るべきであるという意味もあるが、自分をポジティブに変換されゆく経験ともなり得ると考えてます。


今後ともよろしくですー
ではでは




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