初期の動向

発生時について書いてみようと思う。

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まず火曜日あたりからなんとなく片頭痛があったんだが、水曜日にすごい痛くなってきたので夕方に帰宅した。
家帰って、痛いからなんもしたくなかったけどシャワーだけは浴びてすぐにふとんに入って寝始めた。
ただ、このあたりからいまいち混濁した記憶状態。寝てたはずやけど痛くて痛くてつらいということしか憶えがない。


次の日である木曜日は連絡を入れるということさえできない、混濁混乱状態(なん箇所か電話したらしいがその憶えがない)。
自分の印象としてはずっと寝ずに痛みを我慢し続けたという感じみたい。一応、寝てたみたいやけど寝たという意識が全くない。
そんなぶっ倒れて身動きが取れない状況にいたのだが、夜に会社の友達たちが俺の部屋に救出しにきてくれた。
これは、ある意味偶然性もあったと思うんだが、夕方に外出予定があったにもかかわらず無連絡で欠席したのが捜索の気にさせたそうだ(ドアを開けると真っ暗で声も聞こえないので殺人現場かと思ったそうだ)。


そんで病院に連れていき治療にほりこんでくれたという結果。
病院側は、治療開始後は会社の人間を追い出して情報すら提供しないというルールで動いたらしい。
両親へはその後連絡がいって、病院の方へ急遽訪れたそうだ。
ちなみに治療後のしばらくの間は頭の痛さが続いているのはなんとなく覚えているが、意識らしきものがいつ回復してきたのがはっきりわからない(おそらく土曜だと思う)。
記憶力が超低下している状態だったので全く不明だった。


病室では薬物および栄養の点滴をしつつ、尿パイプがさされ、ベットに鍵付きの拘束をされた状態だった。
なん日間フルセットだったかは思い出せない。ただ、入院の翌週には食事をとるのと、尿パイプ外すのと、たまにこの部屋内を歩くことは認められた。
この間、自分の病気で覚えていることとしては、ゆるい片頭痛が続くことと、右目が横っ側に何か映ったり動きを感じるものがあったりしていたことだ。
そしてこの辺りから俺は奇声をあげてたし下手な歌を歌ってたし、女に夢中状態になってた。。
なんせ記憶力がないので、瞬間瞬間の本能でいきているだけといってしまうのが近いかな?


で、ちょうど入院1週間後に当たる日に、次の入院部屋に移動することになった。はっきり記憶がないが、とにかく冷静だしある程度まともな会話ができるというのが理由だったんだろう。
HCUというところから、ICUというとちょっと拡大解釈しすぎかも知れないがICUといわれる部屋に移動した(おそらくぼくはSCUに分類される感じだと思う)
※HUCやICUやSCUについてはこちらで読むとわかります。 http://ja.wikipedia.org/wiki/集中治療室


HCUルームは20人くらい存在するがみんな身動き取れへんしすごく静かな場所だったが、ICUルームも30人くらいいて、それぞれ拘束もないしリハビリやっていく場所でもあるのでなんだかにぎやかな場所でもあった。(もちろん身体的に動かせない人もいはる)
あと、テレビみたり携帯電話やインターネットとかも持ち込めばやってよくなった。
ただし、HCUルームもそうだったんだが、ICUルームの患者はこのルームからの退出は禁止だし、面会は基本的に家族のみだし手続きをしないとできないし、なかなか面倒。


一方で、そんな状況に移動して、ある意味、ここからようやく自分の回復を開始していったともいえる。

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ひとまず初期の動向はここまでにしましょか。
次の回復具合のストーリーってのも書かなあかんなぁと思いつつだが、結構大変かもね。ま、のんびり作ってみます。
あと、もうちょいライトにトピックスをざーっとまとめた記事もあったらええかなとおもってます。複数の小ネタで1記事みたいな感じにしよかなと。仮に長くなりそうなトピックスは別の記事にする感じですな。
ではでは