入院後2ndステージ、劇的な回復っぷり

現状に関する記事」と順番逆になってしまったが、以前に紹介した「初回の動向」の続きです。
この記事のタイトルのようにICUルームへ移ってから退院までの約2週間。日々毎日すごい勢いで回復していったといえる。


なぜか?というとわからんと言えばわからんのだが、おそらく看護師さんやリハビリさんとの対話が一番よいことだったんだと思う。
あの人達はプロフェッショナルなので、問題がある人達との接し方は非常にうまい。
相手の言ってくることやってくることに対して否定をせずに受け止めて話や行動をぽんぽんと乗ってきたり展開したりする。
その時々のレベルにあわせてくるので、こちら側の行動や言動につねにあわせにかかってくれる。つまり、決めつけた特定の行動や言動ではなく、こちらが回復してレベルがあがれば状況にあわせた展開をしてくれるのだ。
結果としては変化(回復)をしていかせやすいことになったのだ。
まずは深く感謝の気持ちをお伝えしたい。


ICUに移って最初
こちらに移ってからはいろんなものを持ち込む必要があり、余計なもんの持ち込みも可だった。
具体的には、着替えとか髭剃りとか歯ブラシはマスト用品。iPadiPodやいろんな電源、イーモバイルWIFIはほしいもんとして持ち込んだ(親族に自宅から持ってきてもらった)。
ちなみにPCは持ち込まなかった。赤いVivienne Tamをもってはいたが、なぜか要求せずにiPadばかりを使っていたなぁ。
あと、本や漫画や雑誌などは持ち込み可能なんだが、これらは親族に買って持ってこられた。
なぜか?まず、どんな文章もまともに読めない状態だったんだが、そういうことを親族も知っていたからだと思う。
例えば4コマ漫画で起承転結の順番に読んでいってもちっとも笑えない。なぜなら1コマ目を忘れるから。
文章なんかでいうと、1段落を読んで、2段落目に入ると1段落目の内容がわからなくなる。
人の話についていくのが大変だったが、読むというのはもっと基本的なところで大変だった。


そういや両親はなんかガキっぽいもんというか趣味に合わないものを持ってきたなぁ。なんだか忘れたが、少年チャンピオンがあったな。読んだことすらなかったんだが。。
一方で、ぼくの妹はなんだか変わっているというか、厳しい人間というか、おちょくりかけるような人間なのか、最初に渡してきたのが、「ガンダムエース(漫画系雑誌)」と「おせん(イブニング)」と「鬼平犯科帳さいとうたかを)」という3つの漫画だった。。
これがねぇ、修行だったわ。
どれを読んでも頭に入らないし、おもしろくもならん状態。文字多いし。
読めるようになろうと何回もチャレンジしたよ、俺。
最終的には楽しめるようにはなった。


○さらに最初にやったこと
まぁそんなことをしていったんだが、最初の頃にまずやったのが日記付けだった。
なぜなら、前の日に何があったのかを忘れたり、その日聞いた話ややったことを忘れたりしたからだ。
また、思いついたことなどもあわせて日記に書いていくことで、欠陥である「記憶」や「理解」というのを取り戻すいいトレーニングになったと思う。
ICUに移ってきた日から退院まで毎日記載した。
おかげで自分の欠点や改善策や対応方法というのが目に見えてわかる状態になり、ほんとやってよかったと思った。
前もいったけど、日記は看護師さんやリハビリさんの女の子の話が多いから紹介できないんよなぁ。
でも、ほんのちょっとだけいうと、同じ寅年の子が結構いたんだよ。彼女たちには積極的に話しかけたし、ウィットのあるトーキングをもしたもんだし、楽しんでくれたんよ。
でも、一回り下の寅年ね。向こうは退院とあわせて切り捨ててくれました。。


○食事や寝るときに
栄養補給点滴をやめてからは、食事について制限はない状態だった。
病院内で作ったものを普通にだされて、普通に食べるということ。
結果的にはよくかんで食べることを取り戻したかな。そうすることでなんとのう頭に対しての刺激もあったかも。
ただ、親がなにを間違えて答えたのか「そばアレルギー」ということで登録されてしまってそばが食えない状態になっていた。。なんでやねん。
どう考えても、そばなんて普通の人よりも食うぐらいやのに。
看護師さんにぷりぷり話をしたら変えてくれましたが退院の2日前でした。。
あと、消灯は22:00だった。元の睡眠時間は短いってことはないけど、さすがに8時間も寝続けるってのはなく、毎朝5:00台に起きちゃうんよね。
毎日夜明けを体感する。そんな日常も人間の動物化が進行し、回復へも貢献した気がする。
一方で、晩は結構騒々しい日もあったりしたので、iPadもしくはiPodで動画を見ながら眠りに落ちるということもやっていた。
そん時みていた動画はまたブログで紹介しようかなと思う。


○看護師の方々のサポート
純化していうと、何でもかんでも面倒みてくれる。365日24時間というものをシフト勤務ですべての業務をする人達なのだ。
業務が多すぎるので全部を知ってるわけではないんだが、毎日ぼく担当のひとがついてあれこれしてくれる。
点滴なんかをやってた頃までは面倒見もかなり濃かったんだが、かなり回復してからは結構放置されてたわぁ(嘘ですよ)。
ちなみにICUに移ってきて10日ほどは薬の点滴をやってくれてた。交換が昼間と深夜であるんでお互いに結構大変だった。深夜でこっちの目が覚めると「すんません、すんません」とか言いながらやりはるし、気が滅入る面もあるんやろな。


○リハビリの方々のサポート
OTやPTの人らとはなかよくやらせてもらって楽しかったわぁ。
いろんなこと試させてくれたし、気軽に話とかしてくれたし。中にはすんげぇ気ぃ使ってくれる人もいたり、じゃれやすい人がいたりと、よかったっす。
一方、STの担当の人とは、最初はなんかようわからんちゅうのもあり、こっちからもあれこれ気の悪いこといったりしとった。
でも、彼女と何度もこのトレーニングやっているうちに、回復も日次でどんどん進んだっちゅうのもあったんだが、最終的には結構なかよくなったと思う。なんとなくお互い認めあえたんちゃうかな?とかいって。
ちなみに年上です。おねえさまでございます。


○呼び名だぜ、ハニー
入院中、接してくる人みなさんの名前を絶対に覚えようとしたもんだ。もちろん女性だけじゃないよ。男性もだよ。
でも、結構苦労した。
顔は問題なく記憶はできる。行動も問題なく記憶できる。
ただ、名前というのが覚えられなかった。説明しにくいんだが、なんだか人名というか人物というものに結びつかないという感じだろうか?さらに言えば名前というものを記号として認識できない状態でもあった。
会うたびに何度名前を聞いても答えてくれるやさしい方々だったわ。
やり方としてはぼくの方から勝手なあだ名をつけちゃうケースも多々あった。そりゃ相手さんもひいとったけど、こういう工夫も回復への道だろう、そうに違いない。


○退院のきっかけ?
最後にちょいと真面目というか病状調査についても述べておきましょうか。
そもそもこの病気って判断は難しいもんなんだが、お医者さんの方で不具合のある部分に対していろいろと確認をしていった。
わかっとる範囲でいうと、髄液の抽出、MRI、採血かな?
結果としては、まぁ大丈夫そうやなといことで退院につながった。
えーっと、、ざっくりしてますな。
結論的には、脳内出血や炎症の状態が収束したという点と、記憶や理解とかの回復というのもリハビリで検証はある程度されたということで退院の要因につながった模様。
ただし、まだまだ回復を続けなければいけないし、不測の障害が起きないかの検証もしないといけないし、生活上での不具合が生じる可能性もあるかもしれない。それらを後2ヶ月〜3ヶ月は必要という命令になっとる。
そして、まずは「生活上での不具合が生じる可能性」の確認のために大阪の実家へ送り込まれた。




うーむ。。長いな。
しかしこれでひと区切りとしようかな。また書いたという状況だし。。
この記事は入院ばなしでの3作目、つまりこの記事までになります。
なので、これら3作と病気についてと現在の状態のリンクをここにまとめておきますね。
今後はのんびりします。。


<入院から退院までのお話>
1)病気になり、休みをもらった。
2)初期の動向
3)入院後2ndステージ、劇的な回復っぷり


病気について)ヘルペスの脳に対するアタック
現在の状態)病人として、回復人としての現状