iPadはマイクロソフトにもチャンスはあった

iPadは大変なムーブメントになっているが、歴史的にはマイクロソフト(MS)はずっとがんばってきた分野。2005年段階でiPad的なデバイスによるコンピューティングの将来構想を描き、「Origami Project」なるプロジェクトまで発足させており、十分に市場を作るチャンスがあったにもかかわらず、なぜMSではiPadを作り出せなかったのか。
MSのタブレット開発の歴史--未来を見通すもチャンスを逃した理由 - CNET Japan


記事をよんで、ぼくなりの所感をもった。
■巨大な組織であることの弊害
MSはOS(「Windows」各バージョン)だけでなく、デバイス(「Zune」「Xbox」「Windows Phones」)も世界的なマーケットで展開しており、それぞれが部門としてたっている。新しい市場を作るときに旧来の組織の論理でとらえてしまうのは巨大組織の宿命とはいえ、「すでにあるもの」からの飛躍は組織を横断的に展開しないと実現できないと思う。
「どこの部門が担当すべきか」ということをやっていたようだが、そういった話は、使う側の論理が無視される結果になっているのとイコールだと思う。
こういうことは、巨大な組織では起こりやすいことだが、振り返ってみると、小さな組織でも同じ弊害は起こりえると思った。


■成功体験による弊害
モバイル分野ではずっと苦戦し、PCの神話も崩壊していく中、突如降ってわいたネットブック需要。
iPadが出てから思ったのだが、ネットブックは本当に中途半端な位置づけの商品で、新しい体験は何も生み出さない商品。ロースペックPCでしかない。
そしてその成功は過去の成功=「WindowsOSが世界を支配する」という幻想を引きずる結果になったんだと思う。
過去の成功は現在の常識でしかなく、それにしがみついていても新しい成功を生み出すことはできないと思う。


■発想に飛躍がない現実主義であることの弊害
3つめは上記2つの総論なんだが、図体がでかくなるまで大きな成功をして、しかもまだある程度安泰ってことになると、無理はしなくなる。何事にも現実的判断をしていけば、ひとまずは難なくやっていけるという意識が芽生えるものだ。悪い言い方をすれば官僚的になるってこと。
MSほどの規模での成功と成長でなくても、身の回りにはこういう意識の罠に満ちあふれているし、自分もそういう意識にとらわれることもある。
別にそれが悪いことでもないんだろうとも思うが、少なくともwebというまだまだ何かできそう感のある業界で生きるものとして、この罠に陥らないようにしようと思った。